少し前にテレビやメディアでも取り上げられた「アルゼンチンのトランプ」こと、ハビエル・ミレイ大統領。もともとは、経済学者として大学教授を務めていましたが、2020年に自身の政党「リバタリアン党(自由前進党)」を設立し、2023年には現職の経済大臣を破り、晴れてアルゼンチンの大統領に就任しました。
メディアではその破天荒ぶりばかり注目されていますが、どのような経歴なのでしょうか?

この前、テレビでチェンソーを振り回してる姿を見たけど、どんな人なんだろう……? 大丈夫な人かな?
この記事では、幼少期から現在までのハビエル・ミレイ大統領について解説していきます。
幼少期から10代にかけて
チェンソーを振り回したり、軽快なステップで踊ったりする姿が印象的なミレイ大統領。その破天荒ぶりは幼少期からのものでした。
彼は1970年10月22日に、アルゼンチンのブエノスアイレス、パレルモに生まれました。
このパレルモ地区はブエノスアイレスの中でも裕福な人が住む地域で、富裕層にも人気な地域だそうです。パレルモ地区には、高級マンションやデザイナーズマンションが立ち並び、米国大使館や日本庭園などがあるようです。
父親はバスの運転手、母親は主婦をしていました。のちに父親は起業に成功し、実業家としてのキャリアが始まりましたが、息子ハビエルとの折り合いは悪かったようです。
ミレイ氏は両親から暴力や暴言などの虐待を受けていました。成人を迎え家を出てから、10年以上両親と口をきかなくなり、勘当しました。
一方で、ミレイ氏は母方の祖母と妹カリーナ(現職の大統領府の事務総長)と仲が良く、その二人に精神的に支えられていました。特に、妹カリーナとは、いまもその良好な関係が続いており、大統領府の事務総長に任命したほか、彼女のことを日本語で「ボス」を意味する「エル・ジェフェ(男性名詞)」と呼ぶほど慕っているようです。
幼少期からの両親との不仲に耐えつつも、ミレイ氏はカトリック系の学校に進学しました。学校では、感情的な爆発や攻撃的な言動が目立ち、周囲から「エル・ロコ(狂人)」と呼ばれていました。この当時から、破天荒ぶりが発揮していたんですね。
10代後半から成人初期にかけて、ローリング・ストーンズのカバーバンド「エベレスト」のボーカルをしたり、地元のサッカークラブのゴールキーパーを務めていました。
一方で、アルゼンチンの為替レートが崩壊した1980年初頭から、彼は経済学に興味を持つようになりました。また、彼が当時19歳だった1989年のアルゼンチンは、ハイパーインフレに見舞われ、自国の経済に対する危機感から、彼は経済学への道を志すようになりました。
大学時代
ミレイ氏は地元の私立大学ベルグラーノ校に進学後、経済学の学位を取得。学位取得後は、経済社会開発研究所と私立大学トルクアト・ディ・テッラ校で2つの修士号を取得しました。
ミレイ氏は入門経済学と需要と供給の原則を学びましたが、これではアルゼンチンを襲うハイパーインフレを説明できないと考えました。また、スーパーマーケットで人々が「商品の上に体を投げ出している」様子を見て、それを理解するために経済学をより詳しく学んだそうです。
経済学者時代
修士号取得後、経済学者としてのキャリアがスタートしました。専門は「経済成長」でしたが、アルゼンチン国内外の大学で、ミクロ経済学や経済学に必要な数学などの様々な経済学の科目を教えてきました。2016年までに論文を50本以上執筆してきたそうです。
また、民間の年金会社や金融コンサルティング会社の主任エコノミストを務めたり、投資紛争解決国際センター(ICSID)の政府コンサルタントを歴任しました。国際商業会議所(ICC)の経済政策グループのメンバーとして、G20の顧問を担当していました。
当時からメディアに露出する機会が多く、2018年には「テレビで最も取材を受けた経済学者」として235回のインタビューと193,347秒の出演時間を記録されています。
一方で、テレビ番組の討論で、ライバルへの侮辱や汚い言葉遣い、自分のイデオロギーに対する求心力から発せられる攻撃的な弁論術により、世間から悪評と注目を集めました。
政治キャリアのはじまり
経済学者の頃から一貫して持ち続けた信念のひとつが、ペロン主義や社会主義に対する嫌悪感とリバタリアニズム(自由至上主義)でした。アルゼンチンの経済が最も繁栄していた1900年初頭から、100年間で貧困国まで衰退したのは、ペロン主義に基づく「バラマキ」や「左派ポピュリズム」のせいだと考えていました。
彼の政治的なキャリアのはじまりは2020年。経済的な自由主義を掲げるホセ・ルイス・エスパート率いる「アバンサ・リベルタット(自由・前進)」に入党したことがきっかけでした。テレビやラジオだけでなく、YouTubeに自身の政治的な見解の投稿をはじめ、若者からの支持を集めました。

ちなみにこの頃、ミレイ氏は両親と仲直りしたらしいよ。
そして2021年、自由至上主義を掲げる政治連合「ラ・リベルタッド・アバンサ(自由前進党)」を設立しました。予備選挙(次回の総選挙に立候補する候補者を決定するために行われる選挙)では13.66%の投票率で3位、アルゼンチン議会選挙でも17%の投票率で3位となり、ミレイ氏はアルゼンチン議会に進出しました。
国会議員として選出されたあとも、ミレイ氏の破天荒ぶりが失われることはありませんでした。彼は「国民にお金を返す」ことを目的に自身の給与をくじで当たった人に渡したり、議会への欠席が多かったり(定められた52%の日程にしか出席していない)と、その言動が注目され続けました。
一方で、自身が所属する「ラ・リベルタッド・アバンサ(自由前進党)」内での候補者買収疑惑や、ポンジスキーム(運用実態がないにもかかわらず、高利回りを謳って資金を集める投資詐欺の手口)の疑惑のある投資会社の宣伝をしたことにより、批判されることもありました。
大統領選挙
自身が所属する政治連合「ラ・リベルタッド・アバンサ」の一員として、2023年大統領選に立候補したミレイ氏。妹のカリーナ・ミレイ氏が選挙運動を仕切り、2022年5月にミレイ氏の支持率が上昇し、6月には本格的な選挙運動が始まりました。
2023年3月時点での支持率は17%にとどまり、議会での第三勢力になることが予想されていました。しかし、2023年5月になると、アルゼンチン国内でのインフレ率が100%を超え、支持率がさらに上昇しました。
予備選挙
その後も、ミレイ氏をめぐる動画がSNS上で拡散され、支持を広げました。
・廃止したい省庁の名前を書かれたカードを空中に捨てたこと
・ステージ上でチェンソーを振り回したこと
・自身の計画を象徴するために空中でピニャータを叩き壊したこと
・フランシスコ教皇を「汚らしい左翼」と呼んだこと
・アメリカの伝説のギャング「アル・カポネ」を称賛したこと
彼の過激な言動は、国民の注目を集めました。現政権に対する信頼感の低下が、新興右派のミレイ氏への支持を広げるようになりました。
2023年8月に実施された予備選挙では、30%の投票率を集め、最有力候補として浮上しました。
決選投票
2023年11月19日、決選投票では、ミレイ氏が地滑り的な勝利を収めました。アルゼンチンの民主化以降、最高の投票率となり、名実ともに歴史的選挙になりました。
アルゼンチン議会においては、ミレイ氏率いる「ラ・リベルタッド・アバンサ」が下院で20%、上院で10%の議席を獲得しました。
2023年12月10日にミレイ氏は大統領に就任し、大統領としての職務が始まりました。
まとめ
幼少期から破天荒キャラだった。アルゼンチン国内の経済危機を目の当たりにして、大学から経済学を志す。経済学者としてのキャリアとメディア露出。大統領になった今も自由を重んじ、国の再建に奮闘中。
アルゼンチンのトランプとも称される、ハビエルミレイ大統領。就任から早1年半が経とうとしていますが、今後のミレイ政権も注目ですね!
最後にミレイ大統領の名言です。
私は快適な嘘よりも不快な真実を好む。
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